永田清の経歴
永田清はトロント生まれで、日系カナダ人3世の代表的存在です。
永田清の祖父母は1900年代に日本からカナダに移住し、バンクーバーに居を構えました。 当時、日本人移民の暮らしは決して楽なものではありませんでした。州や連邦の選挙における投票権や、一部の産業で働く権利など、市民としての権利を完全には認められていませんでした。第二次世界大戦中、連邦政府は2万人以上の日系カナダ人を抑留、強制退去させました。1942年、バンクーバー市議会は「敵性外国人を太平洋岸からカナダ中央部へ移す」ことを決議しました。 同年、永田清の祖父母と両親は強制収容所に送られ、ここで4年近くを過ごすことになります。
永田清は幼い頃から家族の抑留について認識していました。日系カナダ人すべてが経験した不当な扱いについて知った永田清は辛く感じました。しかし同時に、両親や祖父母が生涯を通じて示した不屈の精神に心が鍛えられました。
現在、永田清はカナダで最も有名な和太鼓奏者です。そのキャリアは約40年に及びます。12歳のときに日系カナダ人センターで初めて太鼓を聴き、その音色やリズム、力強さに魅了されました。
大学卒業後、永田清は日本で2年間和太鼓を学びました。困難もありましたが、非常に有意義な経験でした。 見習いのうちは朝4時半に起床し、毎日10kmのランニングで一日を始めることが義務づけられていました。太鼓のレッスンはランニングの後に始まり、短い昼休憩を挟んで8時間続きます。50代になった今でも、永田清は10kmのジョギング、定置網やサイクリング、自重運動などで一日を始めています。 また、和太鼓演奏に必要な体力を維持するため、食事にも気を配っています。
1982〜1992年、トロントの諏訪太鼓の芸術監督兼演奏者である小口大八氏と鼓童に師事(1993年から1994年まで弟子入り)しました。1994年、異文化交流パーカッション・アンサンブルHumdrum を結成し、トロントでのデビュー公演はNow Magazineの「1995年コンサートトップ10」の第4位に選ばれました。ダンス、演劇、映画、ラジオのために太鼓音楽を作曲・演奏し、日本の伝統楽器奏者を含むあらゆるジャンルのアーティストとコラボを続けています。
1998年からはトロント大学音楽学部で和太鼓の単位認定講座を受け持っています。また、1998年に結成した和太鼓集団「永田社中」は、現在もなおその圧倒的な演奏力で聴衆を魅了し続けています。 カナダ、アメリカ、イタリアをはじめ、レバノン、メキシコでも公演を行ってきました。
また、海外では唯一、日本の大手太鼓メーカー4社と提携を結んでおり、その実力は折り紙付きと言えます。CD5枚、公演映像DVD5本のほか、毎年新作を中心とした独自の公演をプロデュースしています。過去7年の間に、永田社中は3期の公演をプロデュースし、国内外のアーティストとのコラボを実現しました。
2019年、永田社中は「日本とカナダの間におけるスポーツを通じた相互理解の促進」が評価され、日本の外務大臣表彰を受賞しました。